50年の永いギャンブル人生(4)
彼女と同棲も最初だけで、段々、徹夜麻雀、オート、中央競馬と金に余裕が出来たので
ギャンブルがエスカレートして行きました。
そうなると、別れも早くなり、彼女に三下り半を突き付けられ、追い出されました。クラブもヤメ、ギャンブルを止めるために、池袋にある、ビル建設専門の水道会社に就職し寮に入りました。25歳になっていました。
同時に、1973年美濃部都政が、大井オート、後楽園競輪を廃止しました。
代わりに伊勢崎オートが誕生しました。
会社の給料は5、6万円だったと思います
当時はマンション建設のラッシュ時代の始まりで、仕事は幾らでもあり、給料も
毎年上がったと思います。
休みは船橋オートに通い、寮では、麻雀が出来る者がいず徹夜で花札をやりました。結構、規則正しい生活を送り、たまにはキャバレーに行き貯金もして、一生懸命に仕事を覚えました。バブル時代の10年前でした。